西本願寺
「お西さん」と親しまれている西本願寺は、浄土真宗本願寺派の本山です。
平成6年(1994)に「古都京都の文化財」としてユネスコの世界遺産に登録されました。
西本願寺には、華麗な桃山文化が色濃く残されています。
西本願寺へのアクセス
- 京都駅烏丸口から歩いても、15分くらいです。
- 京都駅から市バス9,50,75,101系統に乗り、西本願寺前で下車します。
バス停の目の前です。
京都市下京区堀川通花屋町下ル門前町60 TEL.075-371-5181
なぜ本願寺は、西と東があるの?
西本願寺は、正式には「龍谷山本願寺」といいます。浄土真宗本願寺派の本山です。
御本尊は、阿弥陀如来です。
浄土真宗は鎌倉時代初期(13世紀初め)に、親鸞が開いた仏教の宗派です。
親鸞は、比叡山延暦寺に入山して天台宗を修めましたが、その後、法然上人に師事して、浄土宗を修めました。
親鸞の浄土真宗は、法然の教えを実践したものです。
阿弥陀如来のお力を借りて極楽浄土に救われる本願をとげる、「他力本願」の教えです。阿弥陀如来の御恩を感謝するために、「南無阿弥陀仏」という念仏を唱えるのです。
「人間は平等である」と考え、僧侶にも「妻帯肉食」を許す「無戒」の教えが、他の仏教と大きく違います。明治以前の仏教他宗派では、妻帯も肉食(魚や鶏肉などを食べる)も許されませんでした。
本願寺は、親鸞の廟堂(お墓)として発足、発展したものです。
親鸞の死後、その子供や孫、大勢の弟子達によって、浄土真宗は広まりました。
室町時代(15世紀後半)、蓮如上人が門主になると、浄土真宗は近畿地方から北陸地方へ急速に広まっていきました。
応仁の大乱(1467)が起こり、世の中は戦乱に明け暮れるようになりました。
古い支配体制に不満を持つ農民や地侍は、蓮如の説く「平等の教え」に力を得て、一揆を起こすようになりました。一向一揆と呼ばれるものです。
蓮如は争いを避けて、京都山科に本願寺の拠点を築きました。
しかし、蓮如の死後、日蓮宗徒らによって焼き払われたので、大坂石山に本願寺を移しました。
石山本願寺で顕如上人が門主となりました。
その頃、織田信長は天下統一を目指して、戦い続けていました。浄土真宗信徒の勢力は大きく、一揆を起こして信長を悩ませました。
信長と石山本願寺の対立は激しくなり、顕如は雑賀の鉄砲衆や毛利家を味方につけ、信長と争いました。石山戦争と呼ばれ、11年間も続きました。しかし、ついに和睦が成立し、顕如は石山本願寺を退去しました。
織田信長が本能寺で死ぬと、天下は豊臣秀吉が受け継ぎました。
秀吉の勧めで、顕如は京都七条堀川の土地に、御影堂・阿弥陀堂など建立して、現在の本願寺の基礎を築きました。
長い闘いの末に安住の地を得て、顕如は亡くなりました。
しかし、顕如の死後、門主の座をめぐって、長男の教如と三男の准如が対立しました。その背後には、和議を受け入れる顕如と織田信長への徹底抗戦を主張した教如との父子対立があったのです。
教如は徳川家康と親しくなり、家康の力で浄土真宗大谷派を立ち上げました。
これが、現在の東本願寺です。この時から、浄土真宗は本願寺派と大谷派に分裂してしまったのです。
そのため、幕末の動乱期も、西本願寺は長州など倒幕派、東本願寺は佐幕派に分かれて、信徒達も働いたものです。
西本願寺の見どころ
西本願寺の境内は拝観自由ですが、国宝の書院と飛雲閣は、前日までに予約する必要があります。
拝観料は志で、だいたい300円くらいと考えればいいようです。
- 御影堂(ごえいどう)
親鸞上人の廟所として発足した本願寺にとっては、最も大事な建物です。
親鸞聖人の木造を中央に安置し、左右に歴代門主の像が並びます。
- 唐門
桃山時代の華麗荘厳な彫刻をほどこした唐破風(からはふ)・檜皮葺(ひわだぶき)の唐風四脚門です。
彫刻に見とれて、日の暮れるのも忘れるほどで、「日暮らし門」とも呼ばれます。
- 飛雲閣
金閣・銀閣とならぶ、京都の三閣の1つです。
豊臣秀吉が建てた聚楽第の一部を移築したと言われます。
三層の楼閣建築です。
- 白書院・黒書院
- 阿弥陀堂
御本尊の阿弥陀如来が安置されています。
- 対面所(鴻の間)・雁の間・菊の間・雀の間
それぞれの襖絵(ふすまえ)がみごとです。
- 能舞台(南能舞台・北能舞台)
対面所前の南能舞台は、現存する最大の能舞台です。
白書院前の北能舞台は、現存する最古の能舞台です。
- 虎渓の庭
江戸初期の枯山水庭園です。
中国廬山(ろざん)をまねて造られたと言われます。
- 太鼓楼
幕末、一時、新選組の屯所が置かれました。
- 御成門・目隠塀・築地塀
江戸時代中期から後期の建築物です。
- 総門
現在地に来るまで、3度も移築されました。
- 天然記念物の大銀杏(いちょう)
樹齢400年の大銀杏です。
根っこが天に向かっているように見えるので「逆さ銀杏」と言われます。
「西本願寺の火事の時に、銀杏から水が噴き出した」という言い伝えがあり、「水吹き銀杏」とも呼ばれます。
- 八方睨(にら)みの猫
書院の東狭屋の間の天井に描かれている猫です。
天井には、いろいろな書物が描かれています。書物が鼠(ねずみ)にかじられないように、番をしているのです。
どこから見ても、猫と目が合うようになっています。
- 縁側と廊下の埋め木
阿弥陀堂や御影堂の廊下や縁側は、大勢の信者さんが行き来します。
その廊下や縁側の亀裂や節穴を、動物や植物、器物の形をした木片を埋めて塞いでいます。
信者さんの心を和ませようとする大工さん達の心遣いです。