京都 安楽寺
琵琶湖疏水に沿う哲学の道から一本入った隠れ道に、ひっそりと立つお寺が、安楽寺です。
松虫・鈴虫の哀れな物語や、かぼちゃ供養、秋の紅葉、ギャラリー花いろ、
どれも興味深く、一度は訪ねたいお寺の1つです。
安楽寺へのアクセス
京都駅から市バス5「岩倉操車場」に乗り、真如堂前で下車します。
四条河原町から市バス203「祇園・錦林車庫」に乗り、真如堂前で下車します。
真如堂前から歩いて15分くらいです。
京都駅から市バス100に乗り、宮の前で市バス32に乗り換えます。上宮の前で下車し、10分ほど歩きます。
京都市左京区鹿ケ谷御所ノ段町21 TEL.075-771-5360
安楽寺の由来・・・鈴虫姫と松虫姫
安楽寺は、正式には住蓮山安楽寺といい、京都市左京区鹿ケ谷にあります。
鎌倉時代の初期、法然上人の弟子に、住蓮と安楽という弟子がいました。
法然上人は、浄土宗を開いた僧侶で、浄土真宗宗祖の親鸞上人も法然上人の弟子でした。
住蓮と安楽は、鹿ケ谷に草庵を結び、浄土宗の教えを広めました。
二人は礼賛声明を学び、「浄土礼賛(じょうどらいさん)」を完成させました。二人の唱える礼賛は、たいそう美しいものだったと言われます。
当時の朝廷の実権を握っていたのは、後鳥羽上皇でした。
後鳥羽上皇は、宮中に仕える二人の官女、松虫姫と鈴虫姫を愛していました。
しかし、松虫と鈴虫は、住蓮と安楽の浄土礼賛に感動し、出家したいと願うようになりました。1206年、松虫と鈴虫は、後鳥羽上皇が紀州熊野神社参拝に出かけた留守に、鹿ケ谷の草庵に駆け込み、尼になってしまいました。
松虫は19歳で妙智法尼、鈴虫は17歳で妙貞法尼となりました。
これを知った後鳥羽上皇は激怒しました。
後鳥羽上皇は大変意志の強い、気性の激しい方でした。
松虫・鈴虫の出家から15年ほど後のことですが、鎌倉幕府初代将軍源頼朝の死後、後鳥羽上皇は政権を武家から朝廷に取り戻そうとして、幕府の執権北条義時を討伐(とうばつ)する命令を下しました。承久の変(1221)です。
1207年、後鳥羽上皇は怒りにまかせて、松虫と鈴虫を出家させた住蓮と安楽を斬首の刑にしました。
住蓮と安楽の師である法然上人は讃岐(香川県)に、法然の高弟である親鸞上人は越後(新潟県)に流罪(るざい)となりました。
4年後、法然上人は、ようやく許されて京に戻り、鹿ケ谷の草庵を再建して「住蓮山安楽時」と名付けました。
16世紀半ば、本堂が建立されて、今日の安楽寺となりました。
松虫と鈴虫は自害して果てたとも、瀬戸内海の生口島に流され、そこの光明坊で念仏三昧(ねんぶつざんまい)の生涯を終えたとも、言われています。
安楽寺の拝観と年中行事
安楽寺は、いつも一般公開しているわけではありません。
春・夏・秋と、花や紅葉の時季に合わせて、公開しています。
公開中は、30分おきに10分間ほど寺の由来などの説明が行われます。
寺宝も公開され、希望があれば説明もしてくださいます。
- 春
桜 4月上旬の土曜・日曜
ツツジ 5月上旬の土曜・日曜・祝日
サツキ 5月下旬~6月上旬の土曜・日曜
- 秋
紅葉 11月の土曜・日曜・祝日 12月上旬の土曜・日曜
- 公開時間
入山時間 9:30~16:30
入山料 500円 中学生以下無料
- 鹿ケ谷かぼちゃ供養 毎年7月25日 9:00~15:00
毎年7月25日は、「中風まじない鹿ケ谷かぼちゃ供養」が行われます。
この日、安楽寺にお参りして、お寺で煮炊きしたカボチャを食べると、「中風にならない」と言われています。
江戸時代寛政年間初期(18世紀末)に、京都粟田の玉屋藤四郎が青森から持ち帰ったカボチャの種を鹿ケ谷に蒔いて栽培したところ、ヒョウタンのような形のカボチャができました。
安楽寺の住職真空益随上人が阿弥陀如来のお告げを受けました。
「夏の土用の頃、鹿ケ谷でできるカボチャを煮て食べれば、中風にならない」というものです。
以来、安楽寺では、カボチャを煮て、人々にふるまうようになりました。
当日、門前では、九条ネギ・万願寺トウガラシ・加茂ナス・柊野ササゲなどの京野菜が、鹿ケ谷カボチャといっしょに販売されます。
- 地蔵縁日 毎月2日 9:30~17:00 入山料500円
2015年5月2日から、150年ぶりに地蔵縁日が復活します。
ギャラリー花いろ
安楽寺直営のギャラリーです。
花色とは、縹色(はなだいろ)のことです。
はなだ色とは、夜の闇に暁(あかつき)の光が射しこんだ時の空の色だそうです。
また、花の色は濃淡さまざまで、無限にあると言われます。
「花いろ」は、無限に広がる夜明けの空の色であり、その下に咲きそろう限りない花々の色を意味しています。
展示は、その時その時で、ちがうようです。
2015年5月2日~6日は、ヨーロッパ在住の日本人作家の作品を中心に、展覧会が開催されました。